二者択一ではない道

メディアや知人たちのFacebookを
見ていても、物事を二者択一で議論していることが多い。
AかBか。どちらが正しいのかを論争している。

私も昔はそういうところがあった。
自分の正しさを主張して、たとえば会社に対して
意見という名の不満をぶつけたり、
周りの人を正そうとしたりしていたと思う。
たまたまリクルートという会社に出会い、
すばらしい上司に育てられたため、
何か不満を言ったりすると、
「で、お前はどうしたいんだ?」と問われてきた。

それから何かを伝えるときには、
不満や意見を意志を持った提案として伝えるように
工夫することができるようになった。

どちらか一方の正しさを主張するのではなく、
いろいろな意見を吟味した上で、
新しいやり方も含めて、自分のアイディアや意見を
場に出すということが大事だと思う。

行政が悪い、市民が悪い、
いやいや国が悪い、そもそも○○が悪い・・・という
どちらか一方の責任にしたりすることだけでは
何も解決はしない。
そうするとクレームや不満を起こさないための
事なかれ施策しか生まれない。

教育現場でもよくある。
学校がすべき、いやいや家庭ですべきという議論。
子どもの教育・しつけはどちらがすべきか?という
二者択一的な議論になりがち。
学校でも家庭でもない第三者(地域の人や世の中の大人)が
関わってもいいよなぁと。
その視点から子どもは大人みんなで育もうという
私の意志を持った提案はうまれている。

それが本来の「恊働」なのではと思うのだ。
どっちが悪いのかを指摘し合ったところで、
新しいことは生まれない。
どうしたらみんなで良い方向に進めるのか、
それを議論したいよね。
それには先日書いた相互承認が必要なのだ。
相手の意見や価値観を認める力、受け入れる器。

そうありたい。
その視点を見失わないで居続けるために
今日も、自分に取り組みたいと思う。

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。