生きていること。存在するということ。

祖母の住む博多に来て、1週間近く経つ。
祖母との話、伯母たち(around70th)と
いろいろな話をする。

祖母は大正6年生まれ。
戦争のことも知っている。
(祖父も戦争に行き、生還してきた人だった)
家計を支えるために、ありとあらゆることをしてきたらしい。

貸本屋、呉服屋から頼まれて着物を仕立てたり(下請け)、
田植えの手伝い、蚕を育てたり、海苔づくり、野菜づくり、、、
いろんな商売や日雇いの仕事をしてきたことを聞いた。

その間、伯母や母たちは、学校に行く前に海苔づくりの手伝いしたり、
家事は自分たちで全部やっていたそうだ。
松ぼっくりや松の葉を拾ってきて
それで火を起こし、風呂を沸かしたり、料理したり。

貧乏ゆえ、進学したいとは言えんで、
とにかく給料の高いところに就職して、
祖母を楽にさせたいとだけで自分の進路を決めている。
それでも自分たちは幸せな人生であると
本人たちは言う。
そして私たち子供には、好きに生きろと
なんの強制もしない人たちなのだ。

祖母のお味噌作りの話(麹も自分でつくっていたらしい)、
裁縫の話、料理の話、介護の話、育児の話、
生活の話を聞くだけで、どうやって時間をやりくりして
お金をやりくりして生きてきたのか、本当に凄まじい。

祖母の話は同じ話を何100回聞いたとしても、
惜しくないほど、身にしみる話ばかりである。
祖母はそんな自分に対して、
先祖さまが守ってくれるけん、長生きできとると。

それでいてとても前向き。
先のことを心配してもどうにもならん。
1日1日を大切に生きるだけであると。

来るたびに話が貴重すぎて、心が震える。
ちょっとしたことですぐ不安になったり、
イライラしたり、疲れたり、わがままな自分に
情けないなぁとさえ感じる。

「生きる」「食べる」ということへの感謝が
私と祖母たちとでは、どうにもならんほど違うのだ。

食べ物をとにかく大事にする。
先祖をとにかく大事にする。
常に手を合わせている。

ここに来ると人としての基本を教えてもらえる。
近くにいたら、お味噌づくりも魚のさばき方も、
煮物の味も、学んでこられたのになぁと、
核家族の弊害を感じたり。

98歳の祖母から学ぶことは尊い。
生きること。自分の体や存在を大事にすること。
祖母の生き様から今回も教えてもらえた。

そんな祖母に対して、私は感謝すると同時に、
心から尊敬している。

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