人の死に意味づけすることなんてできない。

人が亡くなる理由や、なぜ死んでしまったのか、
大切な人が亡くなるたびに考えてしまう。
それと同様になぜ生まれてきたのか、
なぜ生きているのか、考えてしまうこともある。
どうしてあんなにいい人が病気になってしまうのか、
見えない神様を恨んでみたり。

どこまで考えてもわからない。
わからないけれど、考えたい。
わかりたい。

私も年を経たせいか、
大切な人たちの生老病死に直面することや
直面している方のサポートをすることが
増えてきました。

悲しみ、寂しさ、やりきれなさ、
虚しさ、もうただひたすら泣くしかできないことも、
何を恨むこともできず自分を責めてみたり、
あー、どうしてどうしてと。

人の死に意味づけはできない。
人の生にも意味づけはできない。

ただできることは、今、ここにある生を
生きることだけ。

大切な人たちが生きてきた人生や
今なお、消えない存在感を、
ただ感じて生きるだけ。

私にも大切な恩師や大切な先輩や
いろんな方の思いや存在が
今もここにあることを感じているし。
見えなくても、いるんだもん。

明日は大切な先輩の誕生日。
先輩はもう数年前に亡くなっていて、
この世に物質としての肉体はないのだけれど、
先輩の笑顔や声や言葉は、いつだって
ここにあるんもん。

意味づけなんかしなくても、
彼が生きていて、今でも生きていて
いつだってここにいるのだから。
それでいいのだ。

今日のブルームーンを見ながら、
なんか、いろんな気持ちが交錯しています。
涙も出るけれど、それでも幸せだとも感じるわけで。

明日からも生きよう。
ただそれだけです。

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