「正解はない」といいきるのにも勇気がいるんだよ。

答えが合っているか間違っているか、
わからないことも多々ある。

誰かにとっての正解は誰かにとっては不正解。
自分の常識、他人の非常識なわけで、
究極のところ、お互い様だ。

とはいえ基準がないと無秩序になるし、
会話にならない。

だから共通の言語やフレームを持って
話をしたり、行動したりする。

ところがだんだん、そのフレーム自体が
ぶつかりあってしまう。

二元論から抜けられないと、
自分の枠の中の基準に縛られ、
結局、自分に自由がなくなる。

誰かを批判しても、
自分をおとしめても、
どちらも自己防衛。

どっちもアリだよね╰(*´︶`*)╯♡
くらいが私にはちょうどよい。

先日の講演のアンケートに
「正解はない」という言葉に安心したというコメントを見て、
そうだよなぁと。
「正解がある」と思うから、ミスや失敗が怖くなる。
人との違いが怖くなる。

特に人間関係や話の聴き方にコツやヒントはあったとしても、
絶対にそれが正しい!なんてものはないと思っている。

私の気持ちや考えですら、今日と昨日では違うし、
今とさっきでも違う。
ご機嫌な日と不機嫌な日に同じことを聞いても
受け取り方も違うしね。

自分が「正しい」と握り締めていることこそ、
それは本当ですか?と問う余裕を持ちたいと思う。

「正解はない」と講演で言い切ることも勇気がいる。
正解を求めに来ている人たちを前にして、
「正解はないんです」と言うのって、何しに来たんだ?と
思われても仕方がないしね。

それでも本当に正解はない。
だから探求が続くし、
人との関係も想定外が起きて面白いわけで。

正解がない世界を楽しみ味わいたいと思います。

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。