死は悲しみだけではない。

昨日の恩師の告別式。
たまたまお坊さんが副住職&教師という方で
お経を読んで下さったあとに、お話がありました。

「生老病死」についてのお話。
ご自身が教え子さんを亡くされた話や、
霊安室にて念仏を唱えたことや(本当はいけないらしい)、
いろいろお話して下さったのですが、
印象に残っているのが、目の前の死を悲しんだり、
冥福をお祈りするためだけではなく、
自分の「生」、人生にどう活かし生きていくのかが大事と、
改めて考えさせられるようなお話でした。

これから生きていく自分自身にとって
恩師の急逝という悲しみをどう乗り越えるのかが
本当に大事だなと。

私の夢の始まりは教師になりたいでした。
それは私は学校が大好きで、先生が大好きだったから。
家庭でどんなことがあっても、学校で先生に会えば、
自分のたくさんの可能性を見てくれて、応援してくれたから。

体育祭も文化祭も合唱コンクールも修学旅行も遠足も、
先生たちが本当に私たちの想い出がたくさんできるように
いろんなことを企画してくれたから。

恩師は、教育委員会でキャリア教育担当だったのです。
去年までの数年。だからたまたまのご縁で一緒に仕事ができた。

最初に私の授業を見てくれたときに、
あなたの仕事であるキャリアカウンセラーという仕事が
これからの世の中に必要であることをあなたの授業から感じましたと
お礼のメールに書いてくれたのを読み返し、
改めて気持ちを強く持ちました。

想いを受け継いで仕事ができるって
本当に幸せなことだなと。
1人でがんばるんじゃなくて、いろんな人、先人の想いを
継いで、私たちは生きているんだなと思うと、
とても心強い。

それでももっと先生と仕事したかったし、
見てほしかったな、これからの私を。

今日の伊豆はとても穏やかであたたかで
淡い空の色で、想い出に浸るには十分な条件を備えちゃっています。
もう少しだけ、こうして、思っていたいです。
先生のことと、自分の未来とを。

 

 

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