怖れから防衛する?

国も人も同じだけれど、

自分を自分の怖れから、

過剰に防衛するから、争いになる。

そして争いを正当化する。

いろんな不安や怖れの要素を

ばらまいて、仕方がないから争うのだと。

守るためには、仕方がないのだと。

子どもの頃に思ったことがある。

殺人は逮捕されるのに、

戦争で人を殺すことはオッケーなのかと。

その問いは、怖くて口にも出せなかったけれど。

戦争はオッケーだと言われることが怖かった。

世界中の争いを肯定される気がして。

自分から手を出すか出さないかで、

良し悪しが決まるのか?

両方、自己防衛でしかない。

自己正当化をお互いしているだけだ。

殴られたら、殴り返す?

子どもにも伝えられないことを、

私はしたくない。

武装し武力を整えるのではなく、

自分の怖れに取り組む教育、自己探求、

心を育むこと、自分の他人の可能性や

本質、存在を感じることの素晴らしさを伝えたい。

未来の怖れからではなく、

今の命、生を大切にしたい。

ただそれだけなのにな。

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